妖精さんの独り言 5−3

幾何学的な宇宙


 何がそんなに「ヤバイ」のか? 実は、太陽系の惑星の軌道は、コンパスと三角定規(2種類)があれば、長さとかは測らなくても、ほぼ正確に(99%のオーダー)描くことができると言うのです。前ページの図をもとにすれば、少なくとも水星から天王星までの軌道は描けるはずです。まあ、実際に宇宙空間に、図のような幾何学図形が描かれているわけではないと思いますが、しかし、「宇宙は偶然による産物ではなく、誰かによってデザインされたのだろうか?」と考えたくもなるような事実です。


 前ページの図は、天動説というよりも、従来の地動説に基づく太陽系モデルに関するものですが、同心円状の太陽系モデルを示されて、それぞれの惑星と太陽とのあいだの距離を数値で示されて、「これが太陽系です」と教えられるのと、コンパスと三角定規を渡されて、「これで太陽系の惑星軌道を描いてみなさい」と言われるのとでは、私たちの住んでいる「太陽系」に対する理解の深さがまったく違ってくると思います。


 このあたりに、この「地動説から天動説へ」という文章で提起したい問題があります。つまり、「科学的で客観的な視点」を与えられることで、私たちは「主観的な現実」から切り離されて、誰かさんにとって都合の良い「仮想現実」に取り込まれ、その歯車にされているのではないか? ということです。「いま、ここ」を生きている私たち自身の視点から宇宙を眺めるなら、宇宙の中心は「私」であり、「私」の足元にある地球を中心にして、月が巡り、太陽が巡り、金星が巡り・・・しかも、地球は太陽系の中で幾何学的な図形によって決定される位置に配置されています。


 ところが、前述したように、太陽系の黄道面から垂直方向に1天文単位くらい離れた「視点」から見た太陽系を、「科学的な真理」として与えられることによって、私たちは自分の主観的な視点、さらに言えば宇宙の中心として宇宙を創造する存在としての自分というものを奪われ、自分の夢のなかではなく、誰かの夢のなかで生きるように強いられているのではないでしょうか? もしそうだとするならば、もう一度、自分の「主観的な視点」を取り返して、自分の周りに世界を「再創造」あるいは「共同創造」することが、大事な課題になってくるのではないでしょうか?



太陽暦太陰暦


 さて、話はガラリと変わりますが、次に「暦」の話をしたいと思います。要するに、「カレンダー」のことですが、現在、日本で使われているのは「太陽暦」あるいは「グレゴリオ暦」と言われる暦です。1年が365日で、4年に1度のうるう年で、誤差を修正して、それでも追いつかない場合には、大晦日と元旦の間に何秒か足して調整しています。で、なんで1月1日が、1月1日なのか? ・・・私には分かりません。何か約束事があったのでしょうか?


 これに対して、江戸時代まで使われていた「旧暦」は、「太陰太陽暦」とも言われます。基本的に、太陽暦は太陽の運行というか、地球の公転周期をもとにして定められた暦であり、太陰暦は月の運行をもとにして定められた暦です。旧暦では、基本的には新月を一日(朔日)として、十五夜の満月を経て、二十九日か三十日が晦日で、月の終わりになります。月が地球の周りを公転する周期は、27.3日ですが、これに地球の公転によるズレが合わさって、一ヶ月は29.5日になります。だから、一ヶ月は29日あるいは30日ということになります。


 それで問題になるのは、月の公転周期と地球の公転周期、つまり一ヶ月と一年のあいだにも、ずれが起こるので、太陰暦だけでは季節のずれがどんどん激しくなってしまいます。そこで、4年に一度、閏月を入れて、ある月を2回繰り返して1年を13ヶ月にすることで、季節のずれを調整していました。だから、旧暦は「太陰太陽暦」と言われます。基本的には、冬至春分の中間点あるいは黄経315度となる日を立春とする二十四節気七十二候で、季節の移り変わりを認識していました。ちなみに今年は旧暦では9月が2回あるので、仲秋の名月が3回あるのだとか!?


 以上のことから伺えるように、旧暦で暮らしていた昔の日本人は、常に月齢=月の満ち欠けを意識しながら暮らしていました。というか、日にち=月齢なので、毎月1日は新月、3日は三日月、7日前後が上弦、十五夜が満月、21日前後が下弦、30日が晦日月という具合で、お月様の満ち欠けの具合でだいたいの日にちが分かる・・・という世界を生きていたわけです。同時に、二十四節気七十二候を通して、季節に応じた自然界の動きを意識しながら、農作業や仕事や行事を行なっていたと言うことができます。