夜空のネット 2

昨夜も・・・夜中に目が覚めて、窓の外の夜空を見上げると、
ネットのようなものが見える。
昨日、一昨日よりも規則的な図形に見えたが・・・
頭を、いや目を動かすと、それにつれて図形が動くので、
私の認識機能に付随するものらしい・・・


「いったい、あれは何かなあ?」と思っているのだが、
何となく関連がありそうなのが、
「ブッディ・マナス・メンブレン」?!


コブラさんの記事にそんな言葉を発見。

Michi & Mirai World さんより
http://mm-world.jugem.jp/?eid=2414


いやはや、「カーマ・マナス」という用語は知っていたが、
「ブッディ・マナス」という言葉は初耳。
さらに「メンブレン」=「膜」という言葉がつくのも、初耳。


その「膜」が見えよるんじゃろか? と思ったり。


どうもそれが、私の認識の限界、思考の限界を作って、
私を特定のメンタル界、メンタル次元に閉じ込めているような
感じがして・・・それを突破することで、もっと自由に
なれるかな? みたいな?


その解説で、懐かしい図? 「神智学大要」に載っていた図が
引かれているんだけど、どこがどう「ブッディ・マナス」なのかは
よく分からない。


一方で、また、大量逮捕の予告が出ているんだけど・・・
どうなんでしょう? これまでも何度も予告があり・・・
キャンセルが繰り返されてきたので、今さら期待もできないの
ですが・・・もし、そういう事態が起きたときには、
慌てず、騒がず、起こっていることを冷静に見極めましょう!?
みたいなところでしょうか?

同じく、Michi & Mirai World さんより


http://mm-world.jugem.jp/?eid=2419

http://mm-world.jugem.jp/?eid=2417


明日は、どうも私が住んでいる地域を台風が直撃する予報で・・・
生き延びることができるかどうかも・・・わかりません。


世界的には・・・なぜか日本ではあんまり報道されないけれど、
エボラの感染者と死者の数が、指数関数曲線に乗りはじめたようだし、
ソフトバンクは700億円の利益をあげながら、
500万円しか税金を払っていない・・・みたいな訳分からん
情報も出ているし・・・特定秘密保護法の施行が秒読みになっているし、
色々なものがおかしな方向へ暴走し始めていて、
非連続的な飛躍が近いんじゃないかな? みたいな感じ。


旧来のシステムの住人にとっては脅威だけれど、
旧来のシステムからはみ出して、冷や飯ばっかり食わされてきた
者にとっては、それが「破壊のための破壊」だろうが、
「再創造のための破壊」だろうが、どっちにしても「破壊」が
なければ、前には進めないじゃろ!? みたいな認識。


最近は、メロディやリズムの縛りのない音楽・・・に関心を
向けていたのだが・・・いや、そこまでは行かなくて、
メロディやリズムの繰り返しがあまりない音楽・・・に
関心が行っていたのだが、この地球上においても、
単調なメロディやリズムの支配から逃れて、
新しい音階と新しいポリリズムで、新しい音楽を奏ではじめるべき
時が来ているんじゃないだろうか?


そうなると、やっぱりコルトレーン?(なんでじゃ!?)



アンビエント・ミュージックの祖は、ブライアン・イーノということに
なっているけれど、本当は、ハロルド・バッドなんじゃないかしら?
いや、ハロルド・バッドは「アンビエント」という言葉は使わず、
「ラディカル・シンプリシティ」という言葉を使うそうなのだが・・・


そのハロルド・バッドが、コルトレーンの影響を受けていたということは、
「ウェルカム」あたりが、アンビエントの源流なんじゃろか?


長らく・・・ブライアン・イーノボブ・ディランと並んで、
私にとっては「偉大な」アーティストであり続けてきたんだけど、
ボブ・ディランが「偉大な剽窃家」であるのと同じように、
ブライアン・イーノも「偉大な発掘家」であったのかもしれない。
(いや、別に悪口ではなくて、良い? 意味なんですが・・・)


新しいことを始めたクリエイターのようで、実は、新しい才能を発掘して、
そこに自分の色を加えて、自分のものとして世に出す・・・人だったのかな?
というよりも、新しい才能とコラボレートして、そこにケミストリーを
生み出して、新しいジャンルを生み出す・・・才能があったのかもしれない。
「ケミストリー」という意味では、ボブ・ディランもそうですね。


そういう意味では、自分のなかで神格化されていたイーノ像が壊れて、
良かったかもしれない。


で、同じように、見事に崩壊したのが・・・「ノーベル賞」に関する信念。
幼い頃に湯川秀樹の伝記を読んで以来、「ノーベル賞」を貰うのはすごいことだ!
みたいな思い込みがあったんだけど、今回、憲法9条ノーベル平和賞
逃したことで、その思い込みが完璧に崩れました。


もし、ノーベル平和賞が、本当に世界の平和を願って、世界に平和を作り出す
ためのものであるなら・・・いま、このタイミングで、「憲法9条を守ってきた
日本国民」に授与すれば、東アジア地域における平和に貢献しただけでなく、
戦争放棄」の可能性を地球上のすべての人類に知らせることにも
つながったと思うのだが・・・それをしなかった。


まあ、マララさんが授与されるのは、「憲法9条」というライバルがいなければ、
順当とも言えるが、しかし、アフガニスタン戦争でソ連に対抗するために
アメリカが組織したタリバンに銃撃された少女に平和賞を与えて、
イスラム原理主義への批判に代える・・・というのは、平和よりもさらなる
争いにつながるような気もしないではない。


というか、タリバン以前、ソ連侵攻以前のアフガニスタンが、どんな国で、
そこでは女性たちの権利はどうなっていたのか? ということも、
考えないといけないと思う。


まあ、憲法9条(を守ってきた日本国民)に平和賞が授与されていたら、
「ショーザフラッグ」以来、大嘘を塗り固めてきたライアー・安倍の
日本再軍国化作戦に打撃を与えただけでなく、中国や韓国も日本に手を出し
にくくなっていたことだろう。
(「ショーザフラッグ」なんてこと、アメリカは言っていなくて、
安倍さんが捏造したという話です。それで、いったい、幾ら戦費を出したの?)


そういう意味では、平和賞受賞の妨害工作に勤しんだらしい日本政府にも、
それに負けたか、最初からその気がなかったか知らないが、
テロと戦う少女に平和賞をあげたノーベル平和賞の選考委員会にも、
「世界平和」への意志などなかった・・・と見るべきだろう。


個人的には、これは非常に良かったこと・・・40年来の洗脳が解けて、
「よく考えてみたら、ノーベル賞って、誰かさんに都合の良い人か、
誰かさんの都合とは関係のない人に与えられていて、誰かさんの不利益に
つながりそうな人には与えられないよね・・・」みたいな認識に
達することができたので、なんだか「スッキリ!」みたいな。


しかしまあ・・・色んなものに洗脳されていて、本当に認識が縛られている
ものですね。はやく「ブッディ・マナス・メンブレン」を突破して、
「メンタル・フリーダム」を実現したいものです。
というか、この自分の「メンタル・スレイブリー」ぶりが、
最近、本当に我慢ならないです。