妖精さんの独り言 2−5

一昨日は、仕事の合間に軽トラックを停めて、缶コーヒーを飲もうとして
いたら・・・道の向かいにいた鼬と目が合った。
時々、一瞬の間に道を横切るのは目にしていたのだけど、
目が合ったのは初めて!?
携帯で写真を撮ろうかな? と思ったら、姿を消していた。


昨夜は、久しぶりに・・・夜空のネットがまた出現。
夜中に、ふと目が覚めて、仰向けになったまま窓から夜空を見上げたら、
いままでよりも規則的な模様のネットが出現していた。
何となく、フラワー・オブ・ライフの模様に似ていたが、
周りの円がはっきりしない感じ。


あれは、私たち(の認識)を閉じ込めているマトリックスのネットなのか?
それとも、私の認識能力が向上したことで見えるようになった何かなのか?
あるいは、地球の新しいグリッドなのか?
う〜ん・・・わからん。


寝る前に、アナスタシアの第4巻「共同の創造」を読んだせいかな?


共同の創造 (アナスタシア・リンギングシダー)

共同の創造 (アナスタシア・リンギングシダー)


・・・アナスタシア・・・巻が進んでもテンションが落ちませんね。
ある意味、ミシェルさんの「コークリエイティブ・ガーデニング」と
通じるものがあります。




虫たちを照覧するディーヴァ(の話)


 ディーヴァ界のなかであなたは、コナガ(アブラナ科の野菜を食害する蛾)のディーヴァのような、特定かつ個々の自然の形態に対応するディーヴァたちと、王国全体のパターンとプロセスを包含し照覧する地位から機能しているディーヴァたちを見つけることでしょう。この場合、私は昆虫王国全体を照覧し、この分野のなかであなたに必要とされる意識の変化を援助することができるような、パターンと目的に関する洞察をあなたに与えたいと思います。


 それを理解することなしに、ミッシェルは昆虫界の人間との関係における全体的な目的に触れてきました。私はここでコミュニケーションについて語っています。自然王国がある状況に人間の注意を引く必要があるとき、それはまず最初に、人間と相互作用するために沢山の数の虫たちを緊急派遣することでしょう。このことはあなたにとっては奇妙に聞こえるかもしれません。おそらくその概念について少しでさえも考えてみようとは思わないかもしれませんが、しかし、このことを熟慮してください:もし人間のケアの周囲に焦点を置いたものから、人と自然のあいだの誤って誘導された接点の結果である、自然の中で起こっている状況へと、人間の注意を転じたいと自然が望むなら、昆虫界からの突然の浸入あるいは侵略を通してのものよりも、人間の注意に衝撃を与え、転換させるより良い方法はあるでしょうか? 私たちの観点からすると、この自然界は、いきなりのパニックを生み出すことなく緊急対応することもできます。もし突然、あなたがどっと逃げ出す森林や木々によって驚かされたら、あなたはどんなふうに感じるでしょうか? もちろん後者は、人間社会のなかで経験されてきたし、私の指摘を完全に描き出しています。どっと逃げ出す木々の場合には、パニックと巨大な混乱、恐れ、破壊、衝撃があることでしょう。これは、私がここで強調したいコミュニケーションではありません。私が話しているのは、警告を鳴らし、自然に対する人間の注意を引くようなコミュニケーションです。どちらの側からも即時の破壊的な結果を生み出すことなく人間界と接触できるのは、昆虫界なのです。彼らは人間たちに接触し、人間たちを悩ませ、人間の注意を持続的に引き続けることができます・・・そして同時に、もし成功するなら、彼の環境のなかで起こっている危機的な状況に、人間の注意を引くのです。


 もし人が特定のエリアにおける自然のバランスの状態を熟慮するなら、そのエリアのなかの虫の状態と、他の自然への虫たちの影響ばかりでなく、そのエリア自体とその近くの両方に住んでいる人たちへの影響を観察することは、実に懸命な動きです。


 自然のバランスが崩れているときには、その不均衡が、問題になっている特定のエリアのなかで代表される、すべての王国(鉱物王国、植物王国、昆虫王国、動物王国、人間王国など)を通じて反映されるというのは真実です。従ってそれが、私があなたに分け与えている単純な論理以上のものであると仮定するのは、理にかなったことでしょう。しかし私はもっと言います。確かに、虫たちは環境の不均衡を自然に反映することでしょう。あなたにとってさらにもっと重要なことは、人間に対してこの不均衡を最初に電報で伝えるのは虫たちであり、その環境のなかの自然形態が、不均衡の兆しが目に見える形で示すよりもずっと前に、彼らはこれを行なうのです。もし昆虫界と人間とのあいだの連絡線が人間によって意識的に受容されて、それが意図されているレベルで操作することが許されていたなら、特定のエリアが病気や破壊、自然のエリアの惑星からの除去を反映するプロセスが始まるよりもずっと前に、環境的な不均衡の脅威は人間に伝えられていたことでしょう。もし人間が、虫たちが電報で伝えようと努力していることに対して、彼自身を敏感にしていたなら、彼はいま可能だと想像しているよりもずっと簡単に、生態学的なバランスのレベルの領域を改善できたことでしょう。


 人間社会のなかで病気が結果として生じるような程度まで、虫たちが人間と接触していたところでは、これは自然による悪意に満ちた攻撃だと仮定するのは正しくありません。人間のなかに起こる病気は、人間もその一部であるところの、自然のなかで起こっている不均衡の深刻さに直接的に比例しています。それらは相関しているのです。そして、自然の不均衡への鍵は、病気がどのように人間の体のなかに表われているかにあるのです。極端だけれども、繰り返すと、虫たちはコミュニケーションの運び屋として機能しているのです。病気のエリアのなかで、彼らは自分たちが伝達したいまさにその問題を、人間という形態の小宇宙のなかで象徴的に表現しているのです。


 もし私があなたに人間の形態も自然であることを思い出させるなら、私が言っていることについてあなたが熟慮することの助けになるかもしれません。それは、植物・動物・鉱物の三つの王国すべてを体現しており、それらを一つの機能的な単位に統合しています。このことを心に留めると、自然がいかにして人間の形態というミクロコスモスのなかに、彼の周囲の環境というマクロコスモスで起こっていることを正確に反映させることができるかを理解するのが容易になるでしょう。自然のすべての王国が、人間の形態のなかに表されており、いつでも私たちにとって利用可能になっているのです。逆に言えば、人間の形態は周囲の自然環境のバランスを反映しており、それは私たち自然からのコミュニケーションであるばかりでなく、祝福の徴でもあるのです。人間と自然はバランスと連携のなかで映しあっているのです。


 もし人間が自分自身を虫たちのコミュニケーションに対して敏感にするなら、彼らを問題のメッセンジャーとして見なし、問題自体ではないと見ることが重要です。人間の病気や自然の病気に対処する時、問題になっている虫たちは人間と彼のテクノロジーによって征服されたり支配されたりするかもしれませんが、病気それ自体は隠れた理由が明らかにされるまで除去されないでしょう。虫たちが現われたエリアは、コントロール不能になるか問題が多くなりますが、私はあなたが探している答えのために、後ろに退いて、より大きな環境の状況を見つめてみることを提案します。もしあなたがまだ本当の問題を同定することに困難を抱えているなら、虫たちがどのようなやり方で人間や自然の形態と相互作用しているかを正確に観察してください。そこには、全体的な状況の中での答えを得るためにあなたが必要としている手がかりが横たわっています。


 自然と人間社会の両方において、巨大な生態学的な不均衡が強烈かつ生命を脅かすようなやり方で誇示されている場所の場合には、このことは自然が独自の憤怒と怒りから発して人間を故意に攻撃している状況だとは理解しないようにしてください。人間たちは、何らかの外的でパワフルな源によって破壊されている無垢な犠牲者ではありません。人間が惑星のライフサイクルに加わってからずっと、彼らが接しあうところでは、人間と自然はパートナーシップを結んできたのです。現在に至るまで、そのパートナーシップは、両方の側にとって原因と結果の一つであり続けてきました。この点で重要なことは、新しい共同創造的なパートナーシップのなかで私たちが結びつくことなのです。もう一度、人間の体は自然界との間にあなたが持っている直接的な連結だということを思い出して下さい。その連結を断ち切るための唯一の方法は、形態から霊を取り除くことです。しかし、連結が維持されている間は、人間は自然界で起こることは、人間の形態のなかに含まれている、問題となっている王国のなかで本質的に示されるだろうということを予想しなくてはなりません。これは自然の法です。形態の中で起こることは、形態の特定の側面に関するすべての相関する反映を通じて、本質的に共鳴するのです。

出典 “Perelandra Garden Workbook”by Machaelle Small Wright in 1987,Second Edition 1993.Published by Perelandra,Ltd. P.167〜P.180




今日は久しぶりの休日? で、久しぶりに雲風農園の手入れ・・・
というか、早生のタマネギを定植するために、ナスとバジルが植わっていた
ところを剪定ばさみで細かく刻んで、根っこだけ引き抜いて、
鍬すら使わず、小さなシャベルで適当に溝を切って、無肥料で定植。


あと、キュウリが植わっていたところも、籾殻を積んでいたら、
なかの株や雑草がいい具合に腐っていたので、適当に手で引き抜いて、
籾殻をかき分けて、今年の春に自家採種したスナップエンドウの種を播き、
さらに余ったスペースにカブを筋蒔き。


ただ・・・エンドウさんたち・・・ちゃんと発芽するかなあ?
ちょっとどころか、かなり心配。