妖精さんの独り言 1−1

 「共創的ガーデニング」(Co-creative Gardening)という聞き慣れない実践について、ぼちぼち紹介していく予定ですが、その実践の基礎にある「共創的科学」について、解説しておきたいと思います。と言っても、ミシェル・スモール・ライト女史の『ペレランドラ・ガーデン・ワークブックⅡ』に寄せられた、アルバート・シャッツ博士(1920-2005)の序文を紹介するだけなんですが。


 ちなみにミシェルさんは、1976年にアメリカのヴァージニア州で、ペレランドラという研究のための庭園・菜園を開き、日夜、妖精さんたちと協力しながら、共創的ガーデニングや共創的ヒーリング(MAP)、さらにはペレランドラ・フラワー・エッセンスを開発し、「共創的科学(co-creative science)」を提唱している方です。


 また、アルバート・シャッツ博士は、結核に効く抗生物質ストレプトマイシンを発見しながら、手柄を指導教官のワクスマン教授にとられて、ノーベル医学賞を受けそこなった人です。ロイヤリティは訴訟で取り戻したそうですが、その後、土壌学や土壌生物学の分野で活躍した世界的権威です。以下で紹介する序文のなかでシャッツ博士は、ミシェルさんの「共創的科学」の科学史における位置づけと、その革新性の説明を行なっています。


 今回、訳してみて思ったのは、二十数年前の高校から大学時代に勉強していた「ニューサイエンス」の次の段階が、「共創的科学」だったんだなあ・・・ということ。当時、バブルの時期からバブル崩壊後の阪神大震災オウム真理教事件にかけての時期というのは、良くも悪くも新しい意識を生み出し、新しいライフスタイル(半農半Xとか)を追求するような雰囲気があったように思います。


 しかし、今から振り返ると、まさにシャッツが指摘する意味において、当時の「ニューサイエンス」には限界がありました。つまり、どんなに装いを新たにしたとしても、人間が現実のなかに答えを見つけ出す、超越的な意識に到達して真理を見出す・・・という認識の枠組み自体は、従来の科学とは変わっていなかったのです。また、物事を認識する行為は、実はある認識を創造する行為でもある・・・という理解には至っていましたが、人間と自然の共同創造の過程を通じて、認識が深まっていく・・・という理解には到達していませんでした。


 阪神大震災オウム真理教事件が起こった1995年は、実は日本でウィンドウズ95が発売された年でもあり、携帯電話とインターネットが爆発的に普及した年でもあります。その頃から、911自作自演テロ事件を経て、311東北大震災に至るまで、経済的には「失われた20年」みたいな言い方をされますが、実は思想的にも、世界も日本も催眠にかけられてボーっとしていたような感じもします。電脳空間における情報量が指数関数的に増大し、世界中の文字情報や映像情報にアクセスできるようになった一方で、現実感が希薄化し、物事を深く考える人も機会も減ってしまった。まあ、許容量以上の情報にさらすことで、催眠状態に入れてしまうという技法もあるので、ある種の集団催眠にかかっていたのかもしれません。


 その催眠が、311の大震災と原発事故で解けて、さらに原発事故以降のショック・ドクトリンの進行と、首都汚染の実情や内部被曝被害について口を閉ざし、「風評被害」「食べて応援(巻添え)」を連呼する政府、行政、学者、教師、マスメディアの姿を見続けるなかで、催眠が解けて途方に暮れたなかから新しい現実の模索を始める人たちと、さらに深い催眠状態に逃げ込んで旧来の現実の崩壊をやり過ごそうとする人たちの二極分化がはじまっている・・・というのが、現状なのかなあ? と思います。


 個人的には、催眠?が解けた瞬間というのは、長らく信奉していた福岡正信さんの自然農法について、炭素循環農法の林正美さんが「あれは思想農法だよ」と言い、研修先の農家さんもまったく同じことを言うのを聞いた時です。実を言えば、科学農法や慣行農法も「思想農法」だというのが私の立場です。つまり、どんなに自然に理に沿ったものに見えても、あるいは収穫量や外見などの人間の都合を最優先したり、科学理論を適用したりしても、人間の側の「理想」や「思想」を自然に投影して押し付けている・・・という意味では、「思想農法」でしかないわけです。


そうではなくて・・・何もかも、自然に聞いてみたらどうなのか? 「無農薬の方がいいはずだから、無農薬で!」と言うのではなくて、そもそも農薬を使うべきかどうかも、自然や作物、さらには病害虫の妖精さんたちに確かめてみたらどうなのか? 自分の理想や思想の思い込みをリセットして、とにかく自然に聞いてみる・・・のが、本当の意味での「自然農法」なんじゃないか?と思ったわけです。


 まあ、福岡さんも「稲の声に耳を傾けろ」みたいなことを言っているので、本人は共創的な「自然農法」を実践していたのかもしれませんが、後に続いた人たちの多くは、福岡さんの思想を勉強して、その思想を田畑で実現する方向へ行ってしまったのでしょう。もちろん、それも一つの方向性として悪くないと思いますが、「答えは、私(人間)ではなく、自然(畑、作物、病害虫、土壌・・・)が知っている」という仮定に立って、虚心坦懐、「どうしたらいいのか分からないんで、一から教えてください」というのも、なかなか面白いのではないかと思います。というか、実際にやってみると、思いもよらないプロセスが始まるので、なかなかスリリングだったりします。


 まあ、具体的には、心のなかで「雲風農園のディーヴァ(妖精さん)とつながります」などと宣言して、あとは「何か問題はありますか?」「肥料は足りてますか?」「大勢のコガネムシさんたちが、恋の季節で子作りに励んでいますけど、放っておいて大丈夫ですか?」などと、イエス/ノーで答えられる質問をして、(セルフ)オーリング・テストで答えを確かめるだけなんですが・・・考えてみると、これはインターネットで、特定のサイトのアドレスを打ち込んでアクセスして、そのサイトのコメント欄に質問を書き込んで解答を待ったり、あるいはサイトのなかの検索ソフトでキーワードを検索して、答えの書いてある記事を探したりするのと同じだったりします。インターネットならぬ「ネイチャーネット」で情報を検索しながら、農作業を進めていく・・・という意味では、非常にハイテクなやり方なのかもしれません。


 さらに言えば、妖精さんたちとの共同創造的な作業の進め方というのは、ガーデニングや農業だけでなく、あらゆる分野に応用可能なんですよね。実際、ミシェルさんも、MAPというヒーリング・メソッドを開発していて、そこでは、「ヒーリングのディーヴァ、パン(身体も司る自然霊)、聖白色同胞団のヒーリング部門の存在、自分のハイアーセルフ(高次の自己)とつながる」と宣言して、実際につながっていることをオーリング・テストで確認した上で、必要なヒーリングをしてもらったりするみたいです。


 要するに、どんな分野にも、どんなものにも、それを司る妖精さんがいるので、気軽に協力を要請したり、あるいは、「何か助けになれることはないか?」と妖精さんに聞いてあげたりしたら楽しい!? ということです。ただ、妖精さんのリクエストのなかには、実行の難しいものもあるので、そういう時は、「すみません、無理です!」と断るのもOKです。ちなみに、うちの菜園の妖精さんからは、「隕石を置いてくれ!」という理解不能の要請がありましたが、ヤフオクでパッチもん? の隕石を探したものの、残念ながら2000円台で競り負けて(TT)、妖精さんの要請を却下しました。でも、菜園の中心に隕石を置くというアイデアそのものは、考えてみると非常に深いんですよね。植物さんたちも、実は宇宙から来た宇宙人? だという説もありますし、ミツバチと小麦は金星出身らしいし、私たち人間も、色々な星から来ているらしいし・・・故郷の石を置いて欲しいということなんでしょうかね。


 というわけで、シャッツ博士の序文に移る前に、一応、オーリング・テストの説明だけしておきます。大村博士が開発したオーリング・テストは、被験者が左手の親指と人差し指でO型のリングを作り、被験者に質問を尋ねたり、対象となる薬物やものに触れたりした状態で、施術者が右手の親指と人差し指でリングを押し開こうとし、その時の力の入り具合(すぐに開くか、開かないか?)で、ポジティブ(肯定)とネガティブ(否定)を判断します。ほとんどの場合には、力が入って開かない場合がポジティブ、すぐに開いてしまう場合をネガティブと判断します。


 ミッシェル・スモール・ライトは、これの別バージョンとして、一人でできる方法を薦めています。まず、左手の親指と小指でリングを作ります。次に、リングの下側から右手の親指と人差し指を入れてリングを開けようとします。その時に、リングがなかなか開かない(親指と小指の筋肉に力が入っている)なら「イエス」、すぐに開いてしまう(筋肉に力が入らない)なら「ノー」と判断します。


 慣れないうちは、「気のせい?」と思ったり、あるいは何度も繰り返すと答えが違ったりしますが、慣れてくると何となく区別がつくようになってきます。ただ、その答えが本当に正しいのかどうかは、実際に答えやアイデアを実行してみて、結果を確かめてみないと分かりません。そのプロセスの繰り返しのなかで、オーリングテストと妖精さんたちへの信頼を共同創造していくことが、大事なことだと思います。