妖精さんの独り言 2−2

第14章 毛皮を着た、羽毛をもつ、羽根のある庭の仲間たち



 1981年に、自然は私に次のように語りました:「ガーデンは包含的であり、排他的ではありません」。ええ、そのことは私に深い衝撃を与えました。というのも、もしあなたがAを行なうなら、それはBを生み出す一方で、Cという問題を除外するだろう、と考えることが私の習慣になっていたからです。そして問題Cは、普通、毛皮があったり、羽毛があったり、羽根があったり、あるいはねちょねちょした何かに関するものでした。簡潔に言うと、自然のその部分は、動物と昆虫の王国の領域のなかにあたります。この洞察は、私にとっては心構えの180度転回でした。そして私は、そのことをしばしば自分自身に繰り返すために、一夏を費やしました。私はそのことをガーデンの日除けの黒板に書きました。というのも、道具をとる時にはいつもそれを見るからです。徐々に、その夏が過ぎるにつれて、私は自分の態度が、「排除」という心構えから「包含」という心構えへ転換していったことがわかりました。


 私が気づいた、まさに一番最初の違いは、自分のなかにありました。私は、自分が重荷の感覚を背負わずに、ガーデンのなかを動いていることに気づきました。それから、その重荷が、心配や気がかり、怒り、欲求不満、不公平感によって作られてきたことを同定しました。そして、それは全て、動物と昆虫王国の存在たちに向けられてきたのです。今では私は、虫たちや鳥たち、兎たち、蛙たち、蛇たち、ナメクジたちはみんな、そこにいるべきだと仮定する態度で、ガーデンのなかを歩きます。彼らはガーデン環境の正当な一部分であり、私たちが「バランスのとれたガーデン環境」を考える時には、これらのすべての生物たちが考慮に入れられなければなりません。彼らの健康を除外したり無視したりすることは、バランスのとれたガーデン環境の実現を不可能にしてしまうでしょう。


 私が気づいた二番目の変化は、私の確信するところでは、最初の変化の直接的な結果でした。私は、動物や虫の数、彼らの活動の増加に気づき、それと相関して私たちガーデナーがこれらの生物による「被害」を呼ぶもの減少に気づきました。しばらくのあいだ、赤ちゃん兎がガーデンの中心のリングのハーブのなかに住んでいました。蛇の数が増えたので、収穫の際には注意を払わなければならなくなりました(私たちが出会ったときに、よりびっくりするのは私なのか彼らなのか、私には分かりませんが)。スカンクが日除けの下のスペースに引っ越してきました。蜂の巣が至るところに作られました。トミーというカメがガーデンに加わり、毎年、夏になると戻ってきます。彼はイチゴ畑から始めて、季節を通じて、畝から畝へと移動します(トミーは三本脚なので、私には判るのです)。1シーズンのあいだ、毎日午後2時になると、マーモットが私たちに加わりました。彼はガーデンのそばの木に登り、ただ見ているのです。彼は1時間ほど滞在して、去ります。ガーデンに入って来ることは決してありませんでした。私は彼のことを「ガーデンの守護マーモット」と呼んでいました。雑多な昆虫の人口は、巨大な割合になりました。蝙蝠たちと鳥たちが、すべての角度から毎日、掃討しにやってくるようになりました。こうした活動のすべてが続いているにも関わらず、私は植物や収穫物の損失が増えたことには気づきませんでした。


 私の共同創造的なガーデニングの冒険の始まりから、まさに一般的な原則として、ガーデンの10%を、十分の一税として自然に返してきました。率直に言って、私は自然がその十分の一税をすべて取ったことがあるとは信じていません。もし彼らが10%取っていたとしても、私はそれに気付かないでしょう。現在、私が観察したことは、動物や昆虫と植物が相互作用したところは、最もソフトな接触だったということです。同時に私は、ガーデンを覆っていた怒りの雰囲気が、徐々に消散し、終にはすべて消えてしまったことを感じました。私が理解したことは、自分が動物や昆虫に対する攻撃の態度を取り除き、自分の態度を変えたとき、翻って、このことがガーデンと相互作用する動物や昆虫の王国の集合的な態度を変えたのだ、ということです。彼らはもはや生存のために闘わなくてもよくなりました。彼らは、恐怖や報復なしで自然環境のなかに存在することができます。加えて、そのことは新しいバランス・・・活動の量や質が何倍もふえるようなバランスの創造を準備します。


 様々な「害虫の訪問」に対して私が何をしたか? に関する質問がワークショップで寄せられる時はいつでも、「ガーデンのなかでの動物たちの相互作用を変化させてきた」と説明します。人々は、いつもその答えにがっかりします。私の答えにおいては、私たち人間が問題であって、動物が問題ではないのです。人々は、動物が問題だと聞きたいのです(それは、古い排除のメンタリティの一部です)。彼らはまた、私が何か特別な従いやすいプロセスを与えてくれることを好みます。それから、一度成就すると、野生動物たちが永遠に消え去るようなプロセスを。ポイントなのは、私は態度を変える以外のことを何もしていない、ということです。私が態度を変えるのにつれて、野生動物たちはガーデンにおける彼らの活動を変えたのです。


 動物や昆虫の活動の増加とともに、ガーデンの土地のなかで私が必要とする特定の調整に関する情報を受け取るようになりました。ガーデンのちょうど西側の野原の大部分が、森の端っこだと宣言され、小さな動物たちや鳥たちを守り、家を造り、餌を与えるための草やヒマラヤ杉、イバラが生い茂るようになりました。鳥のエサ場と水浴場がガーデンに付け加えられました。1990年には、爬虫類のための池を作りました。爬虫類たちの子育てに安全な環境を維持するために、魚は放流しませんでした。また、ガーデンの周りには、特別な野花のエリアを配置しました。そして私たちは、全部で約16エーカーになる、二つの大きな野原を持っていますが、そこは毎年、生長する季節にほったらかしにして、野生の花の採集地にしています。


 ガーデンは、近所の人たちの馬や家畜の群れを入れないために、フェンスで囲われています。彼らは何度もガーデンを通り抜けようとし、疑いの影を超えて、様々な螺旋の道に沿って歩き、定植エリアの外へ出る時には、彼らはその大きさと重さに見合うだけの過度の損害を与えることが証明されてきました。彼らはまさに、適切なガーデン・コンパニオンではないのです! フェンスは他のものは除外しません。鹿は容易かつ優雅にそれを跳び越えて、反対側に軽やかに駆けていき、フェンスを跳び越えて森へ向かっていきます。稀に、ドサッと音がするので、私は彼らがいた証拠を見つけます。


 いかにして私の態度が変化していったかについての、さらなるアイデアを提供するために、私は、動物や鳥たちを害したり傷つけたりすることは何もしない、何も残さない、あるいは何も計画しないという、特別な意図をもってガーデンのなかを移動するということを言うことができます。私は古い種を注意深く処理します。というのも、それらは化学薬品で処理され、予防接種されており、このことが野生動物にどんな影響を及ぼすか確証がないからです。私は、折を見て、フェンスが牛や馬以外のすべての生き物によって、容易かつ安全に乗りこえられるかどうかを確認します。必要なエリアは、動物や鳥が引っかからないように、明確に杭とロープを設置します。大事なことは、すべての生物のために安全な環境を提供するための考えられる限りの努力を行なったということです。このことが、ガーデンが排除的ではなく包括的であることを示す、もう一つの方法です。


 私は、自分の言っていること、この態度の転換が、努力のいらない、バラ色のプロセスのように聞こえることを危惧します。それはただ真実ではないばかりでなく、そのような印象を与えることは公平ではないからです。変化は徐々に進むものだったし、レッスンは持続的なものでした。私の古い態度が貼りかえられるにつれて、私は、自分の思考や行動がいかに排除の感覚によって浸透されていたかに気づいて驚きました。


 1985年に、私は早春のガーデンの美しさを観察していました。コマドリの非常に大きな群れが、数日間、滞在していました。事実、その群れのサイズがあまりにも大きかったので、私はその群れの動きと、ガーデンのエリアとの相互作用を観察するために、毎日、かなりの時間を費やしました。ついには、私はミミズの生息数について現実的な心配を感じました。その心配はふくれあがり、自分の考えをチェックし続けるために作業し、本当に起こっていることを、観察を通じて学ぼうとすることに集中しました。私はすべてはうまくいっているのだと信じていましたが、しかし、このことの証拠を見つけることはできませんでした。ある日、私が見ていた時に、私から10フィートも離れていないところで、一羽のコマドリが頭をかがめて、私の賞賛すべきミミズを土のなかから引っ張り出して、一秒もかからずに掴まえてしまいました。私はカンカンに怒り、「よくもまあ、私のミミズを食べるなんて!」みたいなことをわめきました。もし私が何かの武器を手にしていたなら、そのコマドリを追い回したことでしょう。


 ええ、私の受け入れの努力がまさに崩壊したことは明らかでしたし、私が自分の考えのバランスを回復するために、(私のミミズを貪り食うにも関わらず)コマドリたちが成し遂げようとしていることに関して、何らかの洞察を得なければならないだろうということを悟っていました。


 私は、1985年3月23日に、ペレランドラのディーヴァ、ガーデンのディーヴァ、土のディーヴァ、コマドリのディーヴァ、そしてパンと、グループ・セッションを開催しました(私は、このグループの誰かが私に解答を与えてくれるだろうと確信したのです)。私は、これらの知性たちに一人ずつ、同質の声で話してくれるように頼みました。というのも、5つの別々の声が、それぞれ異なることを言っているのを聴きとろうと努力しないですむようにしたかったからです。それから、ガーデン・エリアでの増加したコマドリたちの活動についての洞察を与えてくれるようにリクエストしました。以下のセッションが、私が与えられたものです:



出典 “Perelandra Garden Workbook”by Machaelle Small Wright in 1987,Second Edition 1993.Published by Perelandra,Ltd. P.167〜P.180