妖精さんの独り言 4−2

植物とのグロッキング


 私の友人は植物にグロッキングする。彼女はインドの導師たちがするように、一日にして植物を開花させ実を結ばせたいと思っている。そのゴールを達成する日がはたして来るのか私にはわからないが、彼女はすでに園芸の達人ではある。彼女がカボチャの種をまいた二日後には苗が十センチまで伸びて大きな葉をつけていた。


 植物にグロッキングして「植物であること」「植物のニーズ」などが分かれば、その知識を生かして世話をすることができる。庭の植木にグロッキングしてのどが渇いているのを感じたら、水のあるところまで根を伸ばす、人間に戻って水をやる、水のスピリットを呼んで助けを求める、などができる。ほかにも葉をよく繁らせて太陽を浴びるとか、幹を太くして体のすみずみまで生気を行きわたらせるとか、新芽を出して成長する、などのニーズがあるかもしれない。有害物質による汚染はもちろん、変化がありすぎるのもなさすぎるのも、植物にとってはストレスだ。ストレスは病気を呼ぶ。植物の場合は害虫や病原菌がつきやすくなる。だからグロッキングしてリラックスさせてやろう。ストレスが低いときにはもっと成長させてやろう。そのためには植物を興奮させるのがいい。ワクワクするとエネルギーが高まり、その植物本来のパターンや学習したパターンが活発に働く。「ワクワク」の法則は「シャーマンの七つの原則」を実践しているときにもあてはまる。ワクワクしながら実践したほうが効果は高い。


 植物が人間の思考や感情に影響されるという事実は科学者も報告している。成長を褒めてやると植物はさらによく育ち、けなすとあまり育たない。そして正しく同調すればあなたに奇跡を見せてくれる。ほかの人間が知らないような秘密も見せてくれる。ルーサー・バーバンクとジョージ・ワシントンカーバーはそんな奇跡や秘密を見た人間たちだ。


 バーバンクは自然から学んで千以上の新種植物を生み出した。ジャイアント・デイジー、ジャガイモの改良種、ネクタリン、刺のないサボテン、早生の材木用樹木などは彼の成果である。1906年、サンフランシスコに大地震があった。バーバンクの住むサンタ・ローザの町ではほとんどの建物がペシャンコになった。しかし彼の温室はまったく被害を受けなかった。それは自分が自然と調和した関係にあったからだろうとバーバンクは言っている。それまでも植物には愛情を込めて話しかけていたが、地震の一件から、バーバンクは自分と植物の関係がただの「勘」以上のものであるのを確信した。彼が独自の方法でグロッキングしていたのは間違いない。植物(苗木であれ成木であれ)をひと目見ただけで、それがうまく成長するかどうか彼には選別できた。いっしょに見回っていた農業指導員には、どれだけ目を近づけてもその違いがわからなかったそうだ。「新種果実と生花の生産法」と題する講演で、彼はつぎのように語っている。


 心をすませ、謙虚な気持ちになって、母なる自然が私たちに教えているレッスンに耳を傾けてください。「神秘」のベールに光をあてれば、みなさんにも聴こえてくるでしょう。受け入れる態度がある者にだけ、自然は真実を運んでくれるのです。


 ジョージ・ワシントンカーバーは植物、おもにピーナッツとサツマイモの研究で知られている。彼は科学的な研究、分析、実験という手段ではなく、深いコミュニケーションから経済効率の高い数百の新種を生み出した。どうやってこんな奇跡を行ったのかという質問に、彼は「すべての植物と生命は私に話しかける。私の知識は彼らを愛し、よく観察して学んだものだ」と答えている。実際、カーバーの研究室には一冊の書物もなかった。その研究室で彼は植物と何時間でも話していた。彼が死ぬ少しまえに、「花に触れるとき、私は『永遠』に触れている。私は花を通して『永遠』と対話する。その声はかすかだけれど、かすかな声が妖精を目覚めさせる」という言葉を残している。


植物をグロッキングする実習


 あなたの家の近くに生えている植物にグロッキングして、彼らがどう考え、感じ、生きているのかを学ぼう。植物の種か苗を植えて、それが成長する間ずっとグロッキングを続けてみるとおもしろい。グロッキングするときには、「早く大きく育ってほしい」という気持ちも伝えよう。病気や害虫で弱っている植物やブラジルの熱帯雨林など、助けが必要と思われる植物にグロッキングして癒そう。


 植物にグロッキングすると「生と死、光と闇、成長と再生」の循環や「太陽暦太陰暦」「エネルギーの使い方」「変容」についても学べるだろう。薬草や治療に使われる植物にグロッキングして、そのヒーリング効果を学ぶのもいい。
(p.197−200)



 科学が発達し、科学が一つの宗教のようになってしまったことの弊害の一つは、「客観的な観察」「客観的な実験」のみが、対象を(科学的に)認識するための、唯一の手段である・・・と思われるようになり、それ以外の認識方法、物事を知るための手段が、無視されたり軽視されたりするようになったことでしょう。


 目の前の相手と一つになる、目の前の相手の中にイメージを通して入り込む・・・ことによって、相手のことを知り、さらには相手の目から見た自分を知る・・・ことも可能なのです。近代科学以前には、こうした「主観的な認識法」によって世界を理解し、他者を理解し、自分を理解する人が沢山いました。どちらが正しくて、どちらが間違っているという話ではなくて、両方の見方を通して、現実をより深く、正確に認識できるようになるということです。


 ちなみに、催眠療法の神様? ミルトン・エリクソンの技法には「ペーシング」というテクニックがあります。相手の呼吸にペースを合わせることによって、まず、相手に同調します。そして、今度は自分の呼吸のペースを変化させることによって、相手の呼吸を変化させて、その変化によって相手の心理的な状態を変化させて、催眠にかけてしまう・・・というものです。「息を合わせる」だけで、混乱状態の相手を落ち着かせてしまう・・・これも、「グロッキング」の技法だと言えるでしょう。


 こうした技法は、もしかするとキングさんが例示しているような「水」「石」「火」「風」「植物」「動物」「人間」だけでなく、「土地」や「地域」、「商店」「施設」などに対しても使えるかもしれません。あるいは、役割分担をして「ロールプレイング」を行なうことで、グループ全体として「地域」を演じてみるというのも、面白いかもしれません。


 ただしポイントになるのは、地域における「問題」を主観的にイメージや体感として理解するだけでなく、そこから「ペース」を変えて、地域における「解決」や「創造」も演じてみることによって、それらもイメージや体感として理解してみる、ということだと思います。そうすることによって、実際の地域に「解決」や「創造」をもたらすことができる・・・というのが、「シャーマニズム」の極意の一つだと言えるでしょう。


 今日は、畑で葉っぱにとまっているキイロスズメバチさんと目が合って・・・じっと見ていたら、向こうも真正面からこちらを見ている。10分間くらい見つめ合っていましたが、向こうからは私はどう見えているのか? キイロスズメバチさんの身になって、お尻を動かしてみたり、触角を動かしてみたり。それにしても、瞬きもせずに複眼でじーっと見られていると、その向こうにいるキイロスズメバチ一族全体から覗き込まれているような気がします。



アーバン・シャーマン

アーバン・シャーマン